『母の想い出』A 『母の想い出』A
 
二、結婚当初の生活状況

 
 母の姑に当たる矢野フイは、朝倉郡三輪村(現甘朝倉郡筑前町)原地蔵に生まれ、長じて同村栗林家に嫁いだ。栗林家は当時相当の資産家であったが、夫が若くして死去、失敗が打ち続き家は倒産したため、子女を伴って実家に帰り、その後縁あって、イソ、クマ、仁吉郎の三人の子を連れ子して、矢野幾右衛門のもとに嫁いだ。
 若き新夫婦は、いかにしても、家運を挽回せんものと励まし合いつつ、母は、生来の辛抱強さで、なりふりかまわず一生懸命に家業に精を出した。  
(つづく) 

『私の頂く 安武松太郎師』表紙(見出し)

『母の想い出』@
『母の想い出』A
『母の想い出』B
『母の想い出』C
『母の想い出』D
『母の想い出』E
『母の想い出』F
『母の想い出』G



矢野政美大人のおはなしへ
矢野政美大人遺稿へ


トップページへ戻る...
行事予定
教会のこのごろ
少年少女会活動
教会報「いっしん」
「おはなし」