『加治木布教これからの展開』A
『加治木布教これからの展開』A


  どれだけ受け切っていくかで差が出てくる

 『私の頂く安武松太郎師』の中に載っておることですが、矢野政美先生が加治木におみえになった布教初めの頃に夢をご覧になっておられます。なんでも夢の中で甘木の初代のお供をしてどちらかに行っておられるときに、初代が振り返られて「矢野さん、神様は天地の親神様でどんなおかげも下さるが、要は受け物が大事ばい」と仰ったということです。
 これは今私が言ったようなことで、親神様はどんなおかげも下さる、金光大神を差し向けてお互いを助けようとなされるのですから、けれども「要は受け物が大事ばい」と、どれだけそれを受け切っていくかで差が出てくるぞということですね。そこがお互い信心の勉強のしどころです。何のために話を聞き、何のためにお取次を頂くのか、あるいは何のために毎日お参りをするのか。それは、そういう信心で自分の心をを鍛えて行かなければ、せっかくの宝が持ち腐れになってしまうからです。
 だから「信心が一分違えばおかげも一分違う」とはっきり教えてあるわけですから、違わないようなおかげを頂いて行かなければならないのです。
 そういうことと致しまして、矢野政美先生がどういう信心を頂かれたのか、あるいは矢野クラ様がどういう信心を頂かれたのか、「温故知新」古きを訪ね新しきを知ると言いますけれども、その本を読ませていただいた限りにおいて、私の知っておることの限りにおいてですから、これが正しいとかいうことではなく、この本を読ませていただいて私が感じたことを話させていただくのですから、その中から皆様が何か感ずるものがあれば頂いていただければ、矢野クラ様の信心、矢野政美先生の信心というものを少し頂かれることにつながるかも知れません。
 
  転地布教の願い出
 
 矢野政美先生が布教三年目に、行き詰まられまして、ご承知の通り甘木教会に一度帰ろうとなされておられます。そこのところを読んでみますと、昭和二十九年十月十九日、甘木親教会にお参りされてあります。ここで三年間頑張ったけれどももうだめだと思われたのです。それで甘木の教会にお参りされ「親先生に一部始終を申し上げ、私どものような不徳なものではとうてい御用に使っていただけそうにありません、勝手なことでありますけれどもどもかほの所にに転地布教させてもらうわけにはまいりませんでしょうか」と親先生に申し上げられたのです。親先生とは、初代はもう亡くなっておられますので二代の親先生のことです。文雄親先生にそのようにお届されたのです。
 親先生はそれをじっとお聞きになられて「それはひどかろう、しかし、転地布教というようなことはできない、そのような事情であれば一応引き揚げてくるのが良かろう、引き揚げて新たに腹が決まったならばまた布教に出ればいいのだから」と、そのようにお言葉を頂かれたのです。
 それから初代の奥様から「それは仕方がなかろう一度帰ってきたがよかろう」と言っていただかれたのです。
 私の母が言っていましたが「ばばしゃま(初代婦人の意・主人の母に当る)が言いござった、矢野さんがおかげ頂かんなら、だれがおかげ頂くなと言いござったよ」と、それぐらい甘木初代奥様も矢野政美先生を認めておられたのですね。
 甘木教会で修行なさっておられたときの様子をご覧になられて、そういうことを仰っておられていたのだろうと思います。その初代奥様も「それなら一度甘木に帰ってくるがよかろう」と仰ったのです。
 政美先生としては一度甘木教会に帰らずに転地布教がしたかったのですね。一度みんなに見送られて布教に出てこられたのですから今さら帰るということは面目ないという思いがあられたのかも知れません。
 しかし〈そう言われるのならば一度帰らねばならんだろうな〉と思うて、せっかく甘木まで行っておられるので実家のお母さん矢野クラ様のところまで行かれたのです。
 
  決心のし直し 
 
 そのときに矢野クラ様が、一部始終お聞きになられてやおら口を開かれて「あんたが商売か何かであればここでは思うようにいかないから他の所に変わるということもよかろうがお道の御用というものはそんなものではなかろうと思うあんたは甘木を出るとき加治木の土にならしていただくという決心で行ったのではなかったのですか、その決心はどうしました加治木で打って鳴らぬ太鼓はどこで打っても鳴りません、それを鳴らそうと思えば太鼓の撥(ばち)が折れるまで、太鼓の皮が破けるまで打たせていただけば必ず鳴ります。あんたが一生かかって道が開けんでもよいではないねあんたが死んだのち、後を継いで下さる人が継ぎやすいようにしておけばそれで良いではないね」と、大変厳しい言葉ですが実のお母さんがそういう言葉を仰いまして、お父様も「あんたは加治木に出していただくときの決心を忘れたのか」と、ご夫婦で、ご両親がこう仰るのです。
 それで、矢野政美先生は腹を決められたのですね。これがなかったならば矢野政美先生はお帰りになっておられるのです。そういうことになっておれば、おそらく加治木教会もありません。この矢野クラ様の言葉で矢野政美先生は〈自分がやっぱり間違っておった〉と思い、決心し直されたのです。
 (つづく)



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