『加治木布教これからの展開』C
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  安武松太郎師の信心の真骨頂

 そして「死を覚悟しているあんたにはそんな不安はないはずである、これからがほんとうの一心というものじゃ、なぜその決心と覚悟をもってお願いせんのか、自分は今死んでも生きる力も生まれる力もない者が三十三年間生かされ、恵まれてきたのだから三十三年儲かったわけだが…」
 これが甘木の初代の信心ですよ。甘木の初代の信心というのが、ここに如実に出ていると思います。
 「三十三年生きてきたということは、生まれる力もない生きる力もない者が、三十三年生まれてお世話になって生きてきたということは儲けものだ」と仰ってあります。これが甘木の初代の信心の土台なのです。
 私達は「おかげ」と言ったら病気をして治ると「おかげ頂いた」と言っていますが、甘木の初代は「生まれたときからおかげじゃないか」ということなのです。金光様の教えがそうなのです。
 「おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいく」
 と、その通りのことを甘木の初代は信念の中で育ててあるから、その通りのことを仰ってあるのです。
 「病気が命取りなら、信心も命がけじゃ」と仰って、さらにその後に、ここで甘木の初代の真骨頂と言うようなものが出てくるのです。それは本田平八郎忠勝の話です。「昔、徳川の四天王の一人、鬼本田といわれた豪の者、本田平八郎忠勝が臨終の際に、近従の者を呼んで、矢立と紙を持って来させて、さらさらと辞世の句を詠んだ。それは上の句を『死んともなああ死んともな』と書いたので、側に侍っていた家族や重臣等が、たいそう残念がったということである。それは、武士たる者が一番の恥とすることは、死を恐れるということで、佐賀の 葉隠れにも『武士道とは死ぬことと見つけたり』と、記されている通りである。それに、世間から鬼本田とまで言われた主君が、死に直面してそのような未練がましい辞世を詠むとは何事か、こんな事であれば、早くお坊さんにでも頼んで、引導を渡してもらっておけばよかったと嘆いたそうなが、その下の句に『ご恩を受けし君を思へば』と詠んだ。それでみんながホッとしたそうな」ということです。
 『死んともなああ死んともな』で終ってはいないのです。『ご恩を受けし君を思へば』で終っているのです。
 ご恩を受けた徳川家康公から、どれだけのご恩を受けておるか、そのご恩の万分の一も返していない。そのことを思うとまだ死ねない。だから死にたくない。何も自分の命に未練があってそういう上の句を詠っているのではないのですね。自分の主君、徳川家康公に対して死んでしまっては申し訳ないから死んでは済まないということから、そういう辞世の句になったのです。
 それで、「矢野さん、本田平八郎が受けた主君家康公の御恩と、天地金乃神様の御恩とはくらべものにはならないが、」それはそうです。その前に言われたように三十三年間生かされたご恩をどうするかということですから、一切が神様の恩だからということですから、『あなたは死んでもよかろうが、この(神様の)御恩には、どうして報いるつもりか』と、強くお諭しになった。」
 そこで、矢野クラ様が、息も絶えそうな中でそれをじっと聞いておられて、「私が間違っておりました。どうぞお願い申し上げます」ということで起死回生のお願いになっていくわけですね。どうでもこうでもおかげを頂いて、その神様のご恩に報い奉らせてもらおうという願いになって行かれたのです。
 そこのところを矢野政美先生がお母さんになり代わって書いてあるのを見ますと「振り返ってみると、今日までの信心は、ただ一身一家の上におかげを蒙らしていただきたいとの一心からのものであった。」同じ一心でも、我が身のための一身一家の上におかげを頂くということで一心になっておったということです。「いわば自己中心で、親神様の御立場というようなものはいささかも考えていなかった。これは申し訳ない相済まないことであった。これからは今日死んだと思って少しでも親神様に喜んでいただけるような自分にならしていただこう。神様に喜んでいただくということは親先生に喜んでいただくということであると心に強く思わせられた」とのことです。
 ですから矢野政美先生が「クラ様の信心が変わった」と伝えてあるのはここのことなのです。この起死回生のお取次を頂かれて〈そうであったなるほど、おかげを頂いて矢野の家は繁盛に向かって来ておるから、家のことだけ思えば今死んでも思い残すことはない、けれどもおかげを下さった神様のお立場は考えなかった〉ということです。
 恐らくこれは、安武松太郎先生のご信心の中核をなすものの考え方なのだろうと思います。

  「いつ死んでも思い残すことはない」
        と言うことはまちがっている


 かの日田教会の堀尾保治先生が堀尾家の霊祭に行かれ甘木の初代がおみえになって霊祭が仕えられ、その後のお直会のときに堀尾保治先生と義兄の稲永善次郎さんという方とがお互いに顔面癌などの病気のおかげを蒙られておられ、お互いに「有難い有難い、ない命をおかげ頂いて子孫も続いて家も繁盛して有難い」と話しておられたところまではよかったのですが「いつ死んでも思い残すことはない」という話をされたのです。すると、その言葉を耳にされた甘木の初代は「堀尾さん稲永さんそれはちがう、それはちょうど借金をして自分の家は立ち行くようになったから、この借金に棒を引いてくれたら有難いと言うようなものだ」という意味のことを話しておられます。「おかげを受けるだけ受けたあなたたちはよかろうが、おかげをやった方の神様はどうなるのか」と、また「自分も以前にそういうことを思ったこともあった。けれども神様のご恩を思えば相済まん。一日でも長生きして神様の喜ばれるご恩に報い奉らねば相済まない」という意味のことをお話になっています。
 その話と矢野クラ様にご理解なされたこととは同じことなのです。そういう視点でご理解なさっておられるのです。
 (つづく)



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