『加治木布教これからの展開』7
『加治木布教これからの展開』F


  〈この氏子は間違わない〉というもの

 またここでひとつ注意しておかねばならないことは、このお道には寄進勧化はないのですから、甘木の初代がそのような電報を矢野クラ様に送られたのは例外中の例外です。
 これも、矢野クラ様の三十三才の大患のときのお結界のご理解と同じで〈この氏子ならばどういうことを言っても間違わない〉というものがあるからこれができたのだと思います。
 これが一寸でもどうなるかわからないというときには、そのようなことはできません。あるいは少しでも自分中心な考えをする人であれば「よしこれで自分の家のおかげを頂こう」となってまいりますと心が濁ってきますから〈矢野クラさんなら間違いない〉という甘木の初代の思いが多分こういうことになったのであろうと思います。
 それに矢野クラ様が応えて行かれて、後々家が立ち行かないかというと、繁盛のおかげを頂かれたのです。
 さらに「おかげになれるとついはじめを忘れて」と記されてあります。「それまでは近所でも良質の水として評判を受けていた井戸水が、突然真っ赤に濁って使い水にならなくなった」ということで矢野クラ様は安武松太郎先生にお取次を頂かれました。『親先生、私の方では井戸水が濁りまして使いものになりませず難渋いたしております。』と申し上げると恩師は、『矢野さん、それは井戸水ではなくて、あんたの信心が濁っているのじゃろう』と仰ったのです。厳しいですね。
 それを受けられて矢野クラ様は「この恩師のお言葉を頂いて、母はハッとした。それは、〈あのような苦難のどん底から、親先生の御取次を頂いて、今日人並みの生活ができさせていただくことができるようになり、家族も健康で、信心のない人々からも羨望の的にまでされるようになっている。まったく親先生のみ祈りの賜でありながら、最近の私はそのおかげに馴れて、おかげに腰をかけていなかったか。あの三十三才の大病のことを忘れておった。自分がおかげ蒙らせていただいた喜びをもって、もっともっと人を助ける御用に立たせていただくべきであったのに、いかにも信心に濁りが入っておった〉と、気づかせていただいた」と、矢野政美先生が書いておられます。ここのところの、三十三才の大病のことを矢野クラ様は忘れられたのではないと思いますけれども、忘れたのと同じような状態ということです。
 
  おかげに馴れて、おかげを忘れ、おかげに腰をかける
 
 昨日も、遠隔地からお参りして来られるので、いつもお参りされる方ではない五十年輩の方が、仕事のことで行き詰まり人間関係で行き詰まり、そのことをお結界でいろいろとお話になられ、しばらく聞かせていただいておりました。それに対し、いろいろお話しをさせていただいている中でふと「不自由を行とする生き方をしたら問題はない」と思い、そのような話をしました。
 その中での一言ですが、その方は今から四年近く前、平成十三年二月二十八日の夕方の七時のことですが、二月なのでもう暗くなっているような中で、街の大通りで車に跳ねられるということがありました。そこで何メートルか飛ばされてアスファルトの叩きつけられ、救急車ですぐ病院に運ばれ、全身打撲ということで入院されました。
 その方が、退院後間もないときのことですが、「事故に遭ってから三ヶ月間、頭の先から背中にかけて串で刺されるような耐えがたい痛みが続き、ベッドの中から神様にお縋りしていたのですが、とうとう六月三日、もうこれ以上は耐えられず、病院の窓から飛び降りて死んだ方がましというほどの状態でした。その中で、せめて耐え得る痛みにして下さいませと一心に縋っているうちに、スーッとその痛みが取れ、時計を見ると午後七時で、ちょうど自分が事故に遭った時刻でした。そのとき自分は神様を実感しました」ということでした。
 三ヶ月間入院して、耐え難い痛みにズーッと苦しむ中に、いろんな治療もしてもらったと思いますが、その効果がなく、もうこれ以上耐え難しということで「もうこれ以上は耐えられず、病院の窓から飛び降りるという思いで神様に一心に縋っていると、スーッと痛みが取れて以来、痛みません、そのとき自分は神様を実感しました」と仰ってあったのです。
 私は「あなたは、あのときの一心、あのときの神様を実感したおかげはどうなっていますか」と言ったら「あっ、そうでした」と言われました。忘れておるわけではないのですが、日々の事がらに追われて、ついつい忘れて行くのです。
 さらにまた申しましたのは、「あなたは、信心になっておかげ頂いたのではなかろう、一心になっておかげ頂いたのだから神様から、前借りをしたようなものじゃなー、神様からのおかげの前借りならば、借金払いをしなければならん、メグリのお取り祓いと思ったらどうですか」と話すと、笑っておられました。「そうですね、たまにお参りしてただお願いするだけで、信心ができておかげ頂いたのではないですね、神様から一方的におかげを頂いたのですね、忘れておりました」とのことでした。
 そして「あのとき助けて下さった神様がその後もズーッと助けて下さってあるのだから、それを忘れてはいかん、それを忘れるから心細くなる。そして目の前の問題に右往左往せねばならんようになる。不自由を行としてと言うのは、そういう神様の後押しを頂いて今があるのだからどんな不自由なことがあっても、それもおかげのもとになると信念しなさい、(厳しい言葉ながら)これもメグリのお取り祓い、そのように思って自分の心を改め改めして進んで行けば、そういう難儀というものはみんなおかげになっていくから」と、そういう話をさせていただきました。
 矢野クラ様におかれも、神様は厳しいですけれども、そうかと言ってけっして甘やかしはなさらないのです。「這えば立て、立てば歩め」ということです。次々とこのように問題を下さって矢野クラ様の信心というものをずっと前に進めて行かれるのです。
 (つづく)


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