『わたしのいただく 安武松太郎師』B 『私のいただく 安武松太郎師』B
(矢野政美著 昭和56年12月発行)

3、学院入学当時の憶い出

 昭和二十二年五月三日に親教会を発たせていただき、金光教学院に入学させていただくこととなり出発の前日、入学生五名恩師のお部屋で、門出のお祝いの宴を開いていただきました。
当時は、物資の不足していた時でありましたが、それにもかかわらず、お心尽くしの膳部が整えられ御祝いの肴までついており、只々、恐縮するばかりでありました。見れば私の膳部の前に「御選別」と書かれた金一封が置かれてある。
 私は、これは恩師が、私どもの入学を祝って下されたものだ」と思い、代表して御礼を申し上げねばと思いつつも、堅くなってつい御礼の言葉が口から出なかった。すると、入学についての心得を語られた恩師が、私に向かって「矢野さん、あんたの膳部の前に私の志の御選別を上げておる。あんたが一番年上であるが、皆に代わってこうして御餞別を頂きまして有難うございますと、お礼を申すくらいの心がなくてどうするか」と戒められた。
 私は顔を真っ赤にして頂くご馳走を味わう余裕もありませんでした。
 その後、このことを省みさせていただくと、恩師は、いくら心で有難いと感じても、言葉に表し、行動に表させていただかねば思わぬと同じことであると、信心の大切な要点をみ教え下されたものと、事柄を通してすかさず教え導き下さるみ思いを有難く感じさせていただいた。


 学院在学中、恩師が本部の御用のためにご霊地に参拝されたとき、甘木教会在籍の学院生数名は、連れ立ってご投宿の谷口屋(のち金光会館)へご挨拶にお伺いした。
 恩師は暖かい面持ちで、お迎え下され励ましのお言葉を頂いた。
 私は、その夜学院宿舎を抜け出して、恩師のお部屋へ行き、按摩のおかげを頂いた。元来の不器用者で、按摩が按摩になっていないのを、恩師は黙ってお受け下され、一時間ばかりで下がらせていただこうとすると、恩師は「矢野さんは、按摩は下手だが、その気持ちがうれしい」とねぎらって下さった。
(つづく) 

『私の頂く 安武松太郎師』表紙(見出し)

『私の頂く 安武松太郎師』@
『私の頂く 安武松太郎師』A
『私の頂く 安武松太郎師』C
『私の頂く 安武松太郎師』D
『私の頂く 安武松太郎師』E

『母の想い出』@
『母の想い出』A
『母の想い出』B
『母の想い出』C
『母の想い出』D
『母の想い出』E
『母の想い出』F
『母の想い出』G



矢野政美大人のおはなしへ
矢野政美大人遺稿へ


トップページへ戻る...
行事予定
教会のこのごろ
少年少女会活動
教会報「いっしん」
「おはなし」